大学進学のとき、私は東北の中核都市に出た。地元を離れて、その街で4年間を過ごした。そして就職のタイミングで、地元に戻った。同期の何人かはそのまま都会で職を見つけ、戻ってこなかった。私は戻ることを選んだ。
理由は、いまになって振り返ると、はっきりしている。「親をどうするか」が頭にあったからだ。当時、明確にそう言葉にできていたわけではない。ただ、親を遠くに置いて、自分だけ違う土地で生きるという絵が、自分のなかでうまく描けなかった。
それから何十年か経って、私は祖母と父を看取った。母はいま、近くの特別養護老人ホームで穏やかに暮らしている。
「親のため」に始めた選択が、60代になってみると、自分自身にとっても最良の選択になっていた。今回はそんな話を書いてみたい。
地方暮らしについて「不便そう」「寂しそう」というイメージを持っている人もいると思うけれど、自分の実感はだいぶ違う。同世代で「定年後はどこで暮らすか」を考えている人に、ひとつの視点として届けばと思う。
「親をどうするか」が頭にあって、地元に残った
大学では東北の中核都市で4年を過ごしたから、「地元を出て別の場所で生きる」という選択肢は、私にとって遠いものではなかった。実際、同期の何人かは大学のあった街で職を見つけ、そのまま住み着いた。東京で就職した友人もいる。
でも、私は地元に戻ることを選んだ。なぜか、と当時の自分に聞いても、たぶんはっきりした答えは返ってこなかったと思う。漠然と「親を置いていくのは違う」という感覚があった。祖父母とも近い距離で育ったので、家族のつながりが日常の一部だった。それを切り離すという発想自体が、あまり湧かなかった。
キャリアの面で、葛藤がなかったわけではない。違う街に残っていれば、また別の道があったかもしれない。同じ業界に進んだ友人で、東京で活躍している人を見ると、純粋にすごいと思う。
それでも、地元に残ったことで、得たものは大きかった。
祖母を看取り、父を看取った。最期の時期、何度も実家に通えたのは、そもそも実家のそばに住んでいたからだ。仕事を持ちながら、親の状態を見に行き、必要な手続きを進める——それを遠距離でやるのは、想像するだけで大変だ。実際、都会に出た友人たちが、親の介護のために何度も行き来している姿を見て、それなら最初から近くにいたほうが、と思った。
地元に残ることは、最初は「親のため」だった。でも、看取りの時間を家族と共有できたのは、結果的に自分のためでもあった、と今は思っている。
60代の今、「茨城県南は便利」と感じている
地方暮らしの話をすると、「不便でしょう」と返ってくることが多い。でも私は、まったくそう感じていない。
通勤は、自転車で15分だ。雨の日は車にしている。これを都会の人に言うと、まず驚かれる。片道1時間半の電車通勤を当たり前にしている近所の人を見ると、正直、申し訳なくなる。あれだけの時間を毎日通勤に使うのは、自分なら耐えられないと思う。人生の時間のなかで、いちばんもったいない使い方をしているのではないか、とすら感じる。
東京に出るのも、思っているほど面倒ではない。茨城県南からはつくばエクスプレスが通っていて、秋葉原までは1時間もかからない。これが開通してから、地域の雰囲気もずいぶん変わった。沿線にはいわゆる中央官庁のエリートと呼ばれる人や、テレビでよく見る人も住んでいる。「茨城の田舎」というイメージで止まっている人には、来てみてほしいくらいだ。
医療機関も充実している。総合病院もあるし、専門のクリニックも揃っている。買い物はもちろん車だが、選択肢が少なくて困るということはない。
そして、敷地が広い。これは、都会から来た人がいちばん驚く点だと思う。私の家も、東京の感覚で言えばかなりの広さがある。土地の値段が違うから、当然の話なのだが、出張で都内のホテルに泊まったときに、周囲のマンションの窓の小ささを眺めるたびに、「あの広さで一生暮らすのか」と他人事ながら思ってしまう。
身近に自然もある。田んぼも畑も川もあって、家から歩いて5分も行けば、緑のなかにいる。これは都会では取り戻せない要素だ。
便利さと自然のバランスがいい、というのが、地元を出ない理由のひとつにもなっている。
親の世代を見て分かった、地方の本当の強み
地方の良さをいちばん実感したのは、親の世代の介護・看取りの場面だった。
祖母と父については、すでに書いた通りだ。最期まで近くにいられたことは、自分にとって大きかった。
母は、父が亡くなってから一人暮らしを続けていた。それなりに気丈にやっていたのだけれど、ある年の夏、家のなかで熱中症になって、危ない状態になった。発見が少しでも遅ければ、と思うと、いまでもぞっとする。
そのあと、母は特別養護老人ホームに入った。今は穏やかに暮らしている。
特養については、入所するまで、自分もよく知らなかった。地域に何カ所もあること、待機の状況、費用のこと——全部、自分の家族のこととして調べて初めて分かった。
驚いたのは、自分の住む地域は特養がかなり多いということだった。都会では「特養の順番待ちが何年も」という話をよく聞く。地方は、相対的にはまだ恵まれている部分がある。「親を預けられる場所が、自分の生活圏のなかにある」というのは、地方の見えない強みだ。
これは、自分自身の老後についても同じことが言える。今は元気だが、いつ自分が施設のお世話になるか分からない。そのときに「行ける場所がある」というのは、想像しているよりずっと大きな安心材料だ。
地方に住むということは、住宅費が安いとか、自然が近いとかいう話だけではない。年を取ったときの選択肢が、都会よりも残されている。これは、60代になって初めて実感する種類の話だ。
地方暮らしの「正直なところ」も書いておきたい
ここまで地方の良いところばかり書いてきたが、しんどい部分が皆無、というわけでもない。フェアに書いておきたい。
まず、敷地が広いということは、その分の手入れがいる。庭の芝を刈り、雑草が伸びれば除草剤を撒く。これは年に何回もある作業で、夏場はそれなりに体力を使う。「広い家っていいですね」と言われると、嬉しい反面、「手入れが大変なんですよ」とつけ加えたくなる。
自治会の班長も、輪番で回ってくる。主な仕事は、市の広報誌を班内の各家庭に配ることだ。煩わしいかと言われると、そこまでではない。地域の役を順番で担うのは、考えてみれば公平なシステムでもあって、嫌だと思ったことはあまりない。
ただ、これらの「負担」を自分が苦にしていないのは、たぶん、まだ体が動くからだ。70代、80代になったときに同じことを言えるかは、分からない。
お金の話で言えば、地方が「すべてにおいて安い」とは言い切れない。食費も光熱費も、極端に安いわけではない。家を持つために必要な車も、夫婦で乗るなら二台になる(我が家もそうだ)。
ただ、家を建てるとき、知り合いの建築関係者に良心的にお願いできたという、いわゆる「地縁」の恩恵はあった。これは数字には出にくいが、地方で暮らしてきた時間のなかで、自然と積み上がってきたものだ。お金には換算しにくい資産だと思っている。
子供たちも結局、地元に戻ってきた
これは想定していたわけではないのだが、子供たちも結局、地元に戻ってきた。
二人とも、東京の大学に進学した。私自身が大学で東北の中核都市に出たように、子供たちは東京で4年間を過ごした。そして、これも私と同じように、就職を機に地元に戻ってきて、こちらで仕事を見つけ、こちらで暮らしている。
二代続けて、似たようなパターンになった。これは少し不思議でもある。「一度都会を経験してから、地元を選ぶ」という選び方が、家族のあいだで繰り返されているのかもしれない。
親としては、たぶん、嬉しいのだと思う。「たぶん」と書いたのは、子供の選択を親のために誘導した感覚はなく、それぞれが自分で決めたことだ、と思っているからだ。でも、結果としてそうなって、近くにいてもらえることは、ありがたい。
3世代が同じ地域にいる、というのは、現代ではそれほど当たり前ではない。自分の同世代でも、子供が都会に出て戻ってこない、という話のほうが多く聞こえてくる。
これも、地方に残ったことで結果的に得たものだ。
まとめ:地方は「選ぶ場所」というより、「見直す場所」
この記事は、「定年後は地方に移住しましょう」と勧めるものではない。私自身は移住者ではなく、ずっと地元にいた人間なので、移住の苦労はよく分からない。
ただ、今、地方を「不便な場所」「人が出ていく場所」というイメージだけで遠ざけているなら、それは少しもったいないかもしれない、とは思う。
私は、大学で一度地元を離れた。それから就職で戻ってきて、親の世代を看取り、子供たちを見送り、そして迎え入れた。最初は「親のため」に戻った選択だったけれど、60代になってみると、ここが自分にとって最良の場所だった、と素直に思える。
前回の記事で、「本当に好きなこと」が分からないまま定年を迎えた話を書いた。あのときも、結局のところ「実益から始めても、続けているうちに『好き』が後からついてくる」という話だった気がする。
地元に残ったことも、同じ構造だった。最初は「親のため」という実益が動機だった。それが時間とともに、自分にとっての「ここでよかった」に変わっていた。
地方を選ぶ、と力むより、自分の地元を見直してみる、くらいの軽さで、定年後の住む場所を考えてみるのも、ひとつの手だと思う。
次回は、副業について書いてみたい。「やったほうがいいのか」「自分にできるのか」という、もう少し実用的な話に進む予定です。


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